1/48 傑作機 No.102 1/48 F-16C [ブロック32/52] “サンダーバーズ" 61102
デカールの印刷は綺麗で、パーツには繊細な彫刻が刻まれています。説明書にも作りたいブロックの機体によって、どのパーツを使えばいいか細かく書かれています。 ブロック32の機体を作るなら、別売りのタミヤ純正エッチングパーツで各部分の補強板を再現してやれば完成度が増します。ブロック52の機体を作る場合は機首のピトー管の取り扱いに注意すれば、キットのパーツのみで充分満足出来る仕上がりになります。
1/32と比べると、脚周りのパーツが塗装後に取り付け出来る等、作りやすくなっているのも嬉しい配慮です。是非この完成度でF-14トムキャットやF-4ファントム、F-8クルーセイダーなどの米海軍の機体も1/48でリリースして欲しいです。今のタミヤの金型の技術なら、素晴らしいキットが出来ると思います。
HC1203 匠創 ツメキリtype102
親指で押さえるテコの部分、普通のツメキリですと仕上げ用のヤスリがついているのですが(この商品はボディサイドについています)真っ平らのメッキになっています。爪を切ろうとする時、キラキラして爪先に集中出来ない時があります。切れ味は良いのになあ、、
LINDBERG IV
素晴らしい作品は世代を越えるはず
特に後半の楽曲達の
儚さ悲しさ力強さ
今の若い人にも通じる 確かな青春のイメージではないだろうか
何もかも手軽に そこそこのものが揃う時代に 学生なんか 粛々と勉強でもしてりゃいいんだって クールに成らざるを得ないとして
でも思春期は 存在の内から押し寄せるものだから 共有できないはずないって思いたい
Transcend JetRam ノートPC用増設メモリ DDR2-667 2GB 永久保証 JM667QSU-2G
EeePC901-16Gの交換用に購入しましたが、特に問題もなく快適に動作しています。
ただし交換後一回だけBIOSに入らないと正しく容量が認識されないことがあります。
Memories of Blue
とにかくめちゃくちゃ売れたオリジナルの4th、なぜだか売れた?今でも疑問・・・。チャートとは裏腹に何故か私の中ではフェードアウトしてしまった作品。
1stでは、やっぱ俺は伝説バンドの看板男なんです!といっときながら、泉谷とのラストチューンと少年院訪問を経て2ndでの社会派宣言。そしてそのイメージをいとも簡単にぶち壊し、快楽主義を極めた3rd。グラミー賞ミキサーの二ールをはじめとした一流アレンジャー達の作業により、自らのメロディメーカーとしての才能を世に再認識させたベスト(まだアルバム三枚しか出してないのに・・・ベスト出すのは早すぎるような・・・まあリミックスとして捉えれば許容できた)を経てのこのアルバムである。
ロック界では既に大御所的存在ではあったが、「エンタメ」という世界(下世話に言うなら芸能界)の中で氷室さんがメジャーになったのはこのアルバムからだと思う、しかし、上記の伏線を考慮してもよく150万枚以上も売れたものだなぁというのが従来のファンの印象だろう。
佳曲で占められているのは確か、AORといった感じが強い気がする。髪型も短くオールバック気味にして「シブイ」感じで勝負する姿勢が感じられる。ブックレットの美しい風景(グランドキャニオン?)のフォトもそれに見事にマッチしている。タイトル曲を始めRainy Blue、Good Luck My Loveそしてオーラスの超名曲WILLなど悲哀を感じさせる曲ばかり、確かに悪くはない、というかホントに素晴らしい。ヒムロックの唯一無二の「鼻声」にテナーサックスと乾いたドラムのスネアの音が絡み合い、ヴェールのようなストリングスも相まってもう最高級の美しき音世界です。二ールの職人芸炸裂!です。
う〜ん(しばし沈黙)・・・しかし、この程度の曲のクオリティは彼のそれまでのアルバムからして想像に難くなくそう驚くことではない。結局このアルバムは売れ過ぎた。いや、正確に言うとKISS MEが売れ過ぎたのだろうが。この後、次作製作中に氷室さんは自律神経失調症という病に侵される。多分、KISS MEのヘビーローテーションPVと自身のメディアへの露出過多(女性週刊誌にまでインタビュー記事が載っているのにはホント興ざめした)による「作られたヒット」、この言葉に多分彼は敏感に反応し過ぎたんだと思う。ビィーングを飛び出し、一からバンドを作り上げ「己の力」で成功を掴み取ってきたことを自負する彼にはどうもそれが許せなかったことが病の一因ではないだろうか。
多くの新規フォロワーを獲得したアルバムなのでハズレということは絶対にないが、実は従来のファンを少なからず失った作品でもある気がする。現に私はこのアルバムから彼の「信者」ではなくなった。私にとって彼を見た三度目に当たるレ・エゴイストツアーでの彼の姿にロックスターとして惹かれるものはなかった。結果、私は60、70年代の洋楽ロックまっしぐらになった。