元勲・財閥の邸宅―伊藤博文、山縣有朋、西園寺公望、三井、岩崎、住友…の邸宅・別邸20 (JTBキャンブックス 文学歴史 26)
山県有朋や明治の元勲の住まいには、日本的な木造建築の良さと西洋を意識した洋館建の両方の魅力が詰まっています。
南禅寺周辺に点在している邸宅群のほとんどが、本書で紹介してある七代目・小川治兵衛の作庭になります。実際、訪れたことのある無鄰菴(旧山縣有朋別邸)のように疎水の水を巧みに邸宅に取り入れ、自然との調和を図る術はなかなか他では見られない特徴を備えており、本書でもそのあたりを紹介しています。
博物館明治村内にある西郷從道邸の美しさも格別です。何回も訪れた明治村ですが、その中でも一際優雅で瀟洒な姿を残している建造物です。その近くにある西園寺公望別邸「坐漁荘」はまた違った落ち着きと趣のある日本建築でした。
財閥の邸宅では、旧岩崎家茅町邸(現 旧岩崎邸庭園)や綱町三井倶楽部など、諸外国の来客を意識した迎賓館の造りになっており文化財的な値打ちがあり、その格調の高さが写真からも伺えますし、公開している旧岩崎邸の内部の豪華さと工夫は一見の価値があります。
このような出版が他ではほとんどなく、この企画を考えた出版社の編集者の見識の高さを評価すると共に、各建物の詳しい解説を訪れる際の参考にしたいと思います。明治・大正の建築史、造園史だけでなく、政治史、伝記としても捉えられるような内容でした。カメラマンの和田久士氏の写真は、建物や庭の魅力を余すところなく読者に伝える役目を果たしています。企画と解説、写真のいずれもが上手く組み合わさった出版だと思いました。
山県有朋―愚直な権力者の生涯 (文春新書)
強大な権力者はよく嫌われるとは言うものの、山県有朋ほど、強大な権力と金力を持ちながら、嫌われている人物は少ないのではないだろうか。
その死去に際しては、葬儀にすら金をばら撒かないと人が集まらなかったと巷間厭味がてら言われたが、事実、陸軍のドンと呼ばれ君臨し続けたこの人物の葬儀は、生前の権力に反比例するように雨の中、訪れる人も少なく寂しく執り行われたとのことである。ただし、自分の子分の面倒だけは徹底的に見てやった。子分以外には、陸軍のドンとして陰に陽に権力を振りかざしたので、大多数の子分以外の人間からは、とにかく、嫌われたということであろう。
本書は、そこまで嫌われている山県有朋に、多くの史料を駆使して山県の軍人・官僚として新たな側面から光を当て評価した1冊である。
山県有朋に対し、著者は軍人・官僚としての面から、意外にも山県の「実直さ」を評価している。そして、山県が、軍人・官僚として明治日本の陸軍の軍制や官僚組織をどのように進化させていったか、という部分は注目できるものであり評価するべきだと言う。
ともかく、その評判は別としても、軍人・官僚としての能力は高く、山県が確かに、明治時代の陸軍を世界レベルに近いものにまで持っていった大功労者であることは評価に値することであろう。
余談になるが、私が庭園の素晴らしさでお気に入りの椿山荘は、山県が、自らの好みを目一杯盛り込み、贅を尽くして作らせた自慢の別荘である。だたし、その庭園から見える早稲田の森は山県と犬猿の仲であった大隈重信の拠点であり、そのことだけが、山県が椿山荘で唯一、気に入らなかったというのは歴史の皮肉と言うべきか。