霊操 (岩波文庫)
神との人格的交わりを深め、神秘体験に至らせるための
実践的な観想の手引書のようですが、比較的にわかりやすい丁寧な解説が
随所についていることもあり、一般の方々にも、
それぞれのお立場に応じて、それなりに、(「霊操」の内容に)触れることができるように思います。
以下、できるだけ本書の言葉を用いて、一部の内容をご紹介させていただきます。
人は自分の意識がたびたび暗闇となり、
卑しいものに自分が引きつけられる混乱を体験することがあります。
そして、それらの混乱の体験がどこから来るかを識別するべきだとは気づきません。
イグナチオはこれらの体験を「霊的荒(すさ)み」と呼び、
(神の)慰めとは反対の方向に魂を導くものであると説明します。(264ページの解説を参照)
以下、私が慰められた部分(特に最後の部分)…
「われわれが荒(すさ)みに襲われる主な原因は三つある。
われわれが霊的務めに生温く、熱意なく、不忠実であるからである。
われわれがどのような人間であるかを
明らかにするために、神がわれわれを試みるためである。
神が真の洞察と悟りをわれわれに与えるためである」
本書266ページ「霊操」部分より抜粋
順調なときに、上記の荒みが(ひとたび)訪れると自分が
どのような状況(心境)になるかを思い出し、
祈り、黙想などによって、それを(荒みに陥ることを)回避することが大切なようです。
イグナチオ自身の神秘体験から生まれたものとされる
「音源と礎」「キリストの国」「二つの旗についての黙想」「謙遜の三段階」「愛に達するための観想」など、
多くの観想、黙想がのっています。
もう一カ所、解説から引用させていただきます。
「霊操者は自分個人に対する神の御意志を知り、人類のための使命を実行することによって、
キリスト教的な「真の自己」を確立することが大切である。(中略)真の意味の現代とは、
私見によれば、自我の発見にあるのではなく、「真の自己」の覚醒にあると思う」43ページ
解説を担当されている門脇氏は、禅を実践されるキリスト者であり、
また、ユング心理学などにも見識のあるお方のようで、
「霊操」や黙想という言葉に馴染みのない一般の日本人を読者に想定しながら、
本書を訳し、解説を記されているようです。
冒頭のご自身の体験、「霊操」自体の解説、イグナチオ・デ・ロヨラの生涯についてなどの三十数ページにわたる解説は、
私には、本文を読む指針にもなり、有益でした。
緩和ケア病棟に入院中の知人から特に依頼されて購入しましたが、
お渡しする前に少し中を読んでみたら自分にも有益だと気づき、
自分のためにもう一冊購入することにしました。
もし(このような内容に)多少なりご興味のある方には、意外にわかりやすい有益なご本ということで、
お手に取り読まれることをおすすめさせていただきます。
信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う (新書y)
当時の新たな歴史資料を探し出すことが殆ど不可能であることにつけこんで、
様々な憶測によって面白おかしく「本能寺の変の謀略説」が世を賑わせているが、
著者は冷静に現在世に出ている資料を検証してでもできる常識的な思考に基づいて
その荒唐無稽さを鋭く論破している。
歴史的な事実を語る時に、ノンフィクションとフィクションは
明確に区別されなくてはいけないはずで、
著者の「冷静に考えればあり得ない」という指摘は歴史の原則である。
着想は自由だが、根拠がなく容易に否定されるような内容であればそれは妄想に近い。