まあだだよ デジタル・リマスター版 [DVD]
随筆家・内田 百間とその門下生達の交流を描いたこの作品は、今はもう失われてしまった(かも知れない)”大事なもの”がいっぱい詰まった宝箱のようです。公開当時黒澤監督自ら描いたイメージボード(篇中のヤマ場、「第一回摩阿陀会」のクライマックスシーン)に惹かれるように映画館へ行ったのを思い出します。
まず驚いたのは”所さん”こと所ジョージの違和感の無さ。黒澤監督の強い希望で出演が決まったそうで、井川比佐志との掛け合いも絶妙。監督の慧眼には恐れ入るばかりで、このことだけでもこの作品を見る価値ありです、と断言したい。
寺尾聰も門下生の一人として全編に登場し、語り手も務めるのですが、物語中での台詞は一言も無し。所・井川コンビから一歩引いた控えめな弟子なのだけれど、その存在は恩師への尊敬の念を象徴するようです。
万事に飄々とし、人生を楽しむといった風情の百間先生を演じた松村達雄の味わい深さ、百間先生の奥さん・香川京子のつつましく美しいたたずまい。登場人物が魅力的だと、かくも物語が生き生きするものかと瞠目する思いです。
戦中・戦後を通じて変わることなく先生を慕い集まる教え子達は、普段口では遠慮の無いことを言っても、戦災で焼け出された先生のために新居を探して奔走したり、先生の飼い猫がいなくなったらみんなで心配してお見舞いに訪れたり。そこには万事金ずくのような現代では有り得ない他者への思いやりやいたわりが溢れています。
現代の私達が置き去りにしてしまったものが何なのか。それは監督が企図したことではなかったかも知れないけれど、そのことに気付き、茫然とし、しみじみとした気持ちにさせるこの作品は、「三丁目の夕日」に感動したという方にはとりわけお勧めしたいです。もちろん、黒澤作品をここから観始める方にも良いかと思います。かく言う私がそうでした。
ノラや (中公文庫)
数ある内田百けん(門に月)の作品の中で、最も好きな本を敢えて一冊選ぶとしたら、間違いなく「ノラや」を挙げたいと思います。愛猫の失踪に取り乱す姿は涙を誘いますし、著者の「人となり」や内田文学の魅力の秘密が垣間見えて、内田文学に魅了され始めた方や猫好きの方にはお勧めです。
第一阿房列車 (新潮文庫)
初めての内田百聞氏の本です。文豪漱石の門下のうち、吾輩は猫である系のウイットに富んだ短編上手の作。 百聞氏とヒマラヤ山系氏のヤジキタ鉄道道中です。どこから読んでも大人の余裕を感じさせる文章です。時は敗戦の痛手が癒え、戦前のよき時代が束の間に戻った時代。時間がゆっくりながれ、忙しく動き回っている評者には垂涎の的の旅行記でした。東海道線では由比、興津といった新幹線からは見えない(とおもう)駅にとまります。 いつかこんなに贅沢な時間を持ちたい! 定年が待ち遠しくなるような本でした。