OGTー235 ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14 (Ongaku no tomo miniature scores)
私は、20年来他社のスコアを所有していたが、それを処分してこちらへ乗り換えた。何と言っても、第2楽章のコルネットのオブリガートの旋律が、このスコアに書き加えられたためである。今は、このコルネットでオブリガートを奏するディスクも多数存在するのだから価値がある改訂だったと思う。
幻想交響曲 [DVD]
ブダペスト・フィルとの共演から西本智実さんのファンになり、これまでのディスコグラフィを少しずつ聴き始めている。拠点であるロシアのみならずフランス音楽に冴えを見せる彼女には「幻想交響曲」が最適では?と思いAmazonさんで探してみると既にDVDで出ていることを知り、即購入。演奏は…残念ながら彼女のベストとは到底言えない出来。伝統あるオケの音自体は悪くはないが、全体にオケメンバーは淡々と演奏しているといった風情で、求心力も集中力も演奏の一体感も今一つ。細かなアンサンブルのずれ、表現の食い違い、バランスの調整不足(特に金管の吹き方や音量がはまっていない)も見られる。それに対して西本さんが強引に引っ張っていこうというような様子もなく、西本さん自身が戸惑い、諦めながら振っているように見える。…こうした演奏になってしまった訳は、演奏の後に聞ける「特別映像インタビュー」の後半で垣間見える。「チェコの演奏スタイルを動かす」ため、「ギリギリの音楽」の「ギリギリの表現」のための「コミュニケーション」に苦労したものの、彼女にとっての「音楽の国境」は高くてまだまだ越えられなかった…という訳だ。彼女の今回の演奏への無念さが伝わってくる。でもいいではないか。自らの拠点ロシアから長い音楽の伝統のあるヨーロッパへの進出、つまりロシアの指揮者から世界に認められる指揮者になるための西本さんの挑戦はまだまだ始まったばかり。生半可な苦労ではないはずだ。その一つの過程として聴く価値はある。オケメンの間を歩いていく彼女の小柄な姿を見ると、あらためて世界の音楽界に挑む西本さんに「頑張れ!」とエールを送りたくなった。指揮者としての統率力は☆2、オケの演奏は☆3ですが、今後への期待を込めて☆4とします。
ベルリオーズ:幻想交響曲 ほか 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ [DVD]
会場で見たい、聴きたいと思っても叶うことのない地方在住者には、とてもありがたい商品でした。
願っても、このコンサートのチケット入手はとても困難なのでしょうけども(笑)
先にiTunes Music Storeで同演奏の音源を購入したのが、このDVDを求めたいと思うにいたったきっかけです。
何度も聞いていて「これは歴史に残る名演に違いない。ぜひその場にいたかった!」と思うようになり、たまたま検索したらDVDがあるのを知った次第です。
映像を何度も見て、そのすばらしい指揮に唸る以外になし。
ぜひ腰痛を治して頂いて、元気なお姿で復帰して頂きたいです。
映像はすばらしいのですが、音自体は別途販売されている音源ほどではないかな?と思います。
それでも歴史に残る名演には間違いなし。
ライブラリーに加えて損のないDVDであると思います。
ベスト・クラシック100 2
クラシック音楽に興味を持っていて、どんな曲や魅力があるのかを「聴いて」知りたい人にとっては、本作品は良い選択肢だ。
というのも、3,000円程度の出費で、クラシック音楽の代表的な楽曲が100曲も楽しめるからだ。
それらの曲の多くは、学校の音楽の授業、テレビCMや映画、ドラマのBGMとして聞いたことのあるもので、かつ、アルバム自体も、楽曲を奏でる各楽器の魅力やクラシック音楽そのものの魅力を体験できるように編成されている。もちろん、モーツァルト、ワーグナー、ベートーヴェンら著名作曲家はほぼ漏らさず網羅されている。しかも、6枚目には、彼らに関する勉強ができるPC用コンテンツが収録されているおまけつきだ。
また、業界でも定評のあるEMIが手がけた作品なので、コンテンツの質にも不安はない。
総じて、本作品は、クラシック音楽初心者の入門用として好適と判断できるが、気軽に楽しめる上質なBGMとして使うのも一興だろう。
モルダウ/カラヤン名曲コンサート
どこかで耳にしたはずの小品を集めたものだが、「名曲コンサート」と銘打っておかしくないほど選曲と配列が見事だ。本当にひとつのコンサートを聴き終えたような気持ちになる。
こうした小品にこそ、演奏者の音楽的力量は如実に現れるものだが、カラヤン=ベルリンフィルのコンビはさすがと言うしかない。音楽はこのように美しくなければと思わせる名演揃いだ。「モルダウ」の流麗、「前奏曲」のダイナミズム、「フィンランディア」の重厚、「フィンガル」の優雅、いずれも楽曲の性格を見事にすくい取っていて、全く自然な流れとなっている。
こういう演奏を聴くと、カラヤン一流の美学が実は繊細なデリカシーに裏打ちされていることがわかる。表向きの深みには欠けるのだろうが、個人的には、押し付けがましい精神性のようなものは却って邪魔で、さらっと流れても実は細部まで行き届いた演奏の中にこそ、音楽そのものから立ち現れる精神の深みが感じられてよい。これはそのよい見本だ。