ミリオンダラー・ベイビー (ハヤカワ文庫NV)
どんなスポーツにも、その競技特有の美学がある。
特に、ボクシングの持つ、最高に簡潔なまでに切り詰めた中にある戦いの美学は、あまりにも肉体的であるので、実際その世界にいたものでなければ語れないのかもしれない(あるいは、すべてのスポーツはそうなのかもしれないが)。そんな生の言葉がこの本には溢れている。
作者は、前書きにあるように、中年とも言える年齢になってからボクシング界に足を踏み入れ、観客としてではなく実際のファイターとしてその世界を肌で感じた。その中で見てきたものを濃縮し語ったのが、これらの短篇群であり、本を出版したときには既に70歳になっていた。その2年後には逝去しているのだが、まさかその中の1篇がクリント・イーストウッドによって映画化され、主要各賞でオスカーを独占することなど夢にも思わなかっただろう。
その映画化により、この本も多くの読者に読まれることになるだろうか(映画の方は、原作が短篇なので、物足りなく感じさせることはなく、逆に他の短篇のエピソードなど様々なエピソードで肉付けがされた秀逸な映画化となっている)。ありきたりな言葉になってしまうが、人間の尊厳を感じさせる素晴らしい物語たちである。同時に、敗北し転落していく姿を描いた悲しい物語でもある。ボクシングが人生のメタファーたり得るのは、すべてのものが紙一重の中に同時に存在するからなのだろう。
映画に胸打たれたならぜひ読んでいただきたい。ちなみにこの本、以前同じ出版社から「テン・カウント」という題で出ていた短編集が改題され文庫化されたものである。
Million Dollar Baby
映画本編はアカデミー賞作品賞をはじめとして4部門受賞で、内容については説明不要だろう。音楽もクリント・イーストウッドが制作しており驚嘆に値する。あのメインテーマの美しい響きに身をゆだねるとき、美しくそして切ないこの映画と一体になれる気がする。
このようなすばらしいサウンドトラックが国内版の半額以下で入手できるのだから、映画に感動したすべての人が購入すべきだろう。
ミリオンダラー・ベイビー [DVD]
年老いたボクシングトレーナーと人生の転機を求めてジムを訪れた女性ボクサーが、ボクシングを通じて深める絆を描いて、2005年のアカデミー賞主要4部門を独占した作品である。
この作品が魅力的なのは、なんと言っても経験豊富な俳優陣の演技によるところが大きい。表情ひとつで枯れた男を演じて見せる主演のクリント・イーストウッド、猛々しい女子ボクサーを演じきったヒラリー・スワンクは言うにおよばず、ジムに住み込みで働く老ボクサーを演じるモーガンフリーマンの少ない台詞でも大きな存在感示す絶妙な演技が素晴らしい。
そして、前半から中盤にかけては常勝ボクシングの興奮をを充分に堪能させておきながら、後半ではその栄光からの急転によって人間の尊厳の意味を問いかける、アップテンポとスローテンポを上手く使い分けた物語の展開も技巧的だ。
キャスティングとシナリオのセンスが良さが光る、バランスの取れた傑作である。
映画で学ぶおしゃれな英語―「タイタニック」から「ミリオンダラー・ベイビー」まで
映画を観て泣いたり笑ったり、感性に新しい刺激を与えることは心の健康として必要だと思います。
また、日本語では表現できないネイティブな英語にはすてきな表現が隠されています。以前、映画館で観たときに俳優がしゃべっていたセリフが、この本を読んで“あぁ、そういうお洒落なことを言っていたのか!”と再発見させられ、ビデオやさんに走らされました。もちろん言語は英語で。
ただ私は白黒の古い映画も好きなので、著者の次の企画に期待します。
ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション [DVD]
ハッピー・エンドな結末は予想しなかったが、やはり、と思うような展開で、テーマとしては重い。「ミスティック・リバー」に続き、間違いなく傑作と思う。しかし、身終えた後の感想は、心が辛くなるような思いだった。人生とはここまで厳しいものなのか。そして、生きるとはどういうことなのか。モーガン・フリーマンのナレーションが素晴らしい。ハッピーな人は誰も登場しない。とりわけ、田舎のホワイト・プアーの家に生まれ、13才からウエートレスをしながら自立して生きてきたマギーの人生は悲惨だ。生活保護を受けながら中古トレーラーで生活し、マギーに愛情のかけらもみせない母と姉弟。みんな孤独だ。マギーの懸命なトレーニングで、プロとしてデビューし、破竹の連勝。夢がかない、マギーはミリオン・ダラーベイビーになる。しかし、それが頂点だった。予期せぬ悲劇が起きる。こうしたプロセスの中で、フランキーとマギーとの間には父娘にも似た感情が生まれる。全身麻痺の状態でベッドに横たわるマギーとの会話は生きることの歓びと人生の辛さを見るものに考えさせる。短かい間だったけどマギーは幸せだった。燃焼したのだ。そんなマギーに付添い、いたわるイーストウッドの演技は素晴らしかった。敬けんなカトリック信者のフランキーは信仰上、やってはならぬことをして、マギーの望みをかなえ、行方しれずとなる。二人ともアイリッシュ系だが、フランキーがいつも口にしていた不思議なゲール語「モークシュラ」は「愛するお前は私の血だ」のような意味だったと記憶しているが、マギーが連れていってくれた田舎の食堂でパイを食べる淋しそうなフランキーの後ろ姿のラストシーンが悲しかった。