群青の夜の羽毛布 [DVD]
山本文緒の、原作本から先に読んだのだが、暗くて、多少、重苦しいムードは、本も映画も同じだった。さとる役の本上まなみは、正直なところ、あまり適役ではなかったのではないか。精神を病んでいるさとるには、もう少し、違ったキャスティングの方が、映画に緊張感が出たような気がする。誰がはまり役かは、わからないのだが・・・。最後のシーンの、さとるが鉄男に、「生きていて良かった」と言う場面は、生きることって、どんなことなのか、を思い知らされるような、名場面だと思う。
群青の夜の羽毛布 [DVD]
玉木宏が美しい。ファッショナブルでも妖しくもないが、整った顔立ちと健康的な肢体に見とれてしまう。ピンクのポロシャツがよく似合う。年下から好かれる「千秋真一」や「小川先生」が当たり役だが、「鉄男」は自分から年上の女を好きになる大学生役だ。バイト先のスーパーに来る客だった「さとる」にあこがれて親しくなっていく喜びが良く出ている。こういう役はもう演じられないだろうな。
実は、原作を読まずに理解できたのはここまで。ストーリーが展開していくと鉄夫の真意がうまく掴めなくなった。原作を読み終えて思うことは、小説をそのまま映像化するのが映画ではないとは言うものの、いくつかの出来事の配置換えが響いて、人物の造形が曖昧になったのだということ。それで、出口なしの日常をさとるが破滅的に突破するまでの味わいが、映画では出ていないとも。残念!
群青の夜の羽毛布 [VHS]
アダルトチルドレンなんでしょうね、この映画の主人公。長女・母親・次女と長女の恋人っていう4人で構成されているけれど、みんなそれぞれ欠落してる部分があって、それを埋めようと努力しているようで、またそこから逃げようともしている。結局それをお互いに超えていけたのかわからいけど、一見幸せそうにすべてがうまくいっている人でも、深い闇はあるってっことかな。
恋愛中毒 (角川文庫)
これは傑作。
身を削って書くタイプの作家はいろいろいるが、山本文緒は、「削り度」が最も高く、その代表選手と言える。
この作品では、主人公が次に何をやらかすか、どんな重大な隠し事をしているか、がキモである。一人称で語りながらこれをやるというのは、犯人が主人公の推理小説と同じであるから、その腕が問われる代わりに、読者の驚きも大きくなるので、効果抜群である。
まだ駆け出しといっていいこのころの山本が、これを仕上げたのは驚嘆する。
島崎今日子のインタビューにあった、高校時代に女の子を殴ったことがある、という事実から、「やっぱり身を削っていた」と再確認した。
「恋愛中毒」でその場面を読んだときには、「体験か?想像か?」と半信半疑だったが。
ということは、これに限らず他の場面や作品においても、「体験」が形を変え、散りばめられているということだ。そういう意味では身を削った鷺沢萌や昔の林真理子よりもフィクション性が低く、実体験が生かされていると思われる作家である。
この主人公についても、山本の分身度が高いと思われるのだが、その特徴はなにより「突然キレる」である。普通に話していたかと思うと、凶暴な行動に出る。
これが山本の腕にかかると、より話が面白くなるわけだが、「突然キレる」の理由は「不器用だから」である。
「不器用」とは「交渉ができない」である。
おそらく著者本人の特徴でもあるのだろうが、他人に直接要求したり、交換条件を出したり、押したり引いたりコネを使ったりという、ネゴシエイト能力がゼロなのである。
「要求する」という行為が「正当な権利」と思えないところから、こうなる。それで、鬱屈がたまって突然キレる。
もともと「我慢に弱い」タイプの「キレる奴」なのではない。
ネゴシエイト能力の欠如は自己評価の低さによる。
そうした己の眼をそむけたい部分を逆手にとって、傑作を書いた山本は大した女だ。
ひとり上手な結婚
コミックエッセイ。
結婚生活への視線がリアルだ。
笑いというより、リアルさを追求して、
結婚をめぐる葛藤や勘違いを指摘し続けている。
経済、性、住居、親兄弟等、定番の話題をはずさず、
笑いを交えながら、
そのリアルをあからさまにレポートしている。
伊藤理佐の語り口は、
結婚後、
段々とジャーナリストのように批評的なものに変わってきたと思う。
感心するとともに、
かつての能天気さをちょっとだけ懐かしんだ。