ウルトラマンジャズ
『ウルトラQ』からスタートした初期のウルトラ・シリーズ(「マン」から「A」あたりまでか)には、高度経済成長や科学の進歩によってこの国の片隅に追いやられた者たちを「怪獣」という名の「異分子の存在」に置き換えて日本の在り方を問う…という“社会派”のストーリーが多く存在していた。ジャミラ、スカイドン、シーボース、テレスドンなどが登場した回のストーリーはまさにそれであったし、「帰ってきたウルトラマン」には、在日朝鮮人に対する日本人の無礼な振舞いを告発するというおおよそ子供番組とは思えない暗い話まであった。しかしこれら初期の「ウルトラ」の各テーマ曲は非常にクリアなメロディーラインを持っており曲の輪郭もクッキリしたものばかりだった。このアルバムはこれらの「ウルトラ」のテーマ曲、挿入歌を4ビートにアレンジした大マジメなジャズ・アルバムだ。同じジャズといっても曲によって表情がまるで違い、MJQやパット・メセニー・グループのアルバムを聴いているかのような錯覚に陥る瞬間がある。さすがにアルバムの統一感までを期待するのは酷な話だと思うが、抜群のBGMアルバムとして大マジメにオススメしたい1枚である。
皆殺し文芸批評―かくも厳かな文壇バトル・ロイヤル
福田和也氏によって平成十年にあとがきが書かれたこの本、80年〜90年に現れた作家が多く取り上げられている。作家の資質の判定(その作家に才能が有るのか無いのか全然駄目なのか)が露悪的に取りざたされ、また、その作家の文学的出自とか、文壇での作家としての身の処し方まで書かれていて、凄くえげつなく、下劣に思えるような言葉も多い。あんたは何様だと言いたくなるような…。特定の作品に対するそれぞれの批評家独自の着眼や文脈を披露しあうような場面がところどころにあって、その中には意外性や新鮮さに満ちた意見があって興味深く読める。世代間の比較も各座談会で頻繁に行われており、全共闘作家や団塊の世代の作家がまだ書き盛りで老人になっていない時代の文学界の雰囲気も伝わってきてその点も興味深い。本書に登場する文芸評論家が死んだ頃に読み返すと更に面白くなるかもしれない。