有限と微小のパン (講談社文庫)
萌絵の幼なじみ塙理生哉が社長を務めるナノクラフトの招待で、テーマパークを訪れた三人。空港で偶然再会した島田文子から、目的地で死体が消失するという不可思議な事件が起きていたことを聞かされる。そして実際に萌絵たちは死体が腕だけを残して消えてしまう現場を目撃する。犀川や萌絵を観客と見立てたように次々と起きる事件。その背後に見えるあの天才の影。いったい誰が何のために事件を引き起こしているのか?
シリーズを通して1話完結の形式を取りながら、作品構成としても、作中人物達にしても、それぞれに関連性を持ちながら全体として1つの作品群を作り上げたと言える。これをなしえた理由の一つとして、シリーズを一貫する思想の存在が挙げられるだろう。
すなわち、謎の全てに常に解答が用意されているわけではない、と言うこと。そして、読者は事件の直接的な観測者にはなりえないと言うこと。だからこそ、どこまでが事実でどこからが作中人物の意見なのかを見極め、解くべき課題設定を行い、事実に基づく仮定を組み立て、事実との突合せをする必要が出てくるのだ。
すべてがFになる (講談社ノベルス)
理系ミステリ作家・森博嗣の衝撃のデビュー作。
文章はやや読みにくかったが、まぁデビュー作という部分を割り引けば合格点。なにより、「F」が衝撃だった。理系学部に在籍していた僕に「なんで気づかんかったんだろ」と思わせ、悔しがらせた時点で作者の完勝。
すベてがFになる (講談社文庫)
これだけの(境界)条件から、科学的に再現可能な他の回答が考えられますか?
物語の終盤での主人公の一言。これがこの小説の特徴を一言で捉えている。
瀬名秀明が巻末で解説している通り、通常ミステリー小説では感情的な動機で殺人が起こる。読者は殺人の動機を探して読み進めるのだが、逆に起こったこと全ての原因をそれで説明しようとして思考停止になってしまう。
この小説では殺人に感情的な動機が存在しない。だからいつもと同じ調子で読んでいた私は途中もどかしい気持ちになったが、謎が解けた時、常識、つまり自分の経験から離れる快感があった。
森博嗣の作品はこれが初めてだったので、ミステリー小説の常識の枠で読んでしまったが、頭を柔らかくしてトリックに挑みたい。