漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (1)
先日、この方の訃報を耳にした。残念である。
私はリアルタイムで読んだ世代ではない。例えば近い世代のつげ義春などを読み、面白いと思ったがその面白さは当時の読者が感じたものとは違うのだと思う。
永島漫画では、今を生きる若者の感情を描いたことがよく語られ、文にもなっている。私はその「リアル」から遠い。では何を面白がったのか?歴史的価値だろうか。当時と今の若者の感性の類似と相違だろうか。
つげの作品は私にとって淡々とする流れが心地よいのであり、それだけで十分である。思想的背景をいくつか学び、面白いと思ったが、それがなくてもつげ作品の面白さは変わらずに在った。
永島は淡々というよりは、ぼんやりである。ぼんやりとは全くの主観である。上手い言葉が見つからないのである。でもいいのである。この空気を人に説明する必要性を感じていなかったからである。今回レビューを書くにあたって、上記のようなことを書いてみたが、やはりその本質、つげでいうところの淡々については、わからないままである。思想や象徴などのウラの意味については考察も可能である。が、過ぎ去った当時の世界を、朝焼けの新宿の肌触りを感じることは不可能であると思うから、もう探すこともできないのである。作者がいなくなったから、本当に消えてしまったのである。でもかまわないのである。
これで、いいのだ。おそ松。
ミラクル少女リミットちゃん DVD-BOX
サイボーグものといえば、その体の力を生かして悪と戦ったり、なにか大きな問題を解決す
る話がほとんどです。でもこの作品はリミットちゃんが時々ミラクルパワーを使うもの
の、主に彼女が普通の生活おくる話なのです。
サイボーグの日常生活を描いた唯一の作品でないでしょうか?
それと彼女はみんなと一緒でない自分の体が気に入らない。このことに悩み立ち向かってい
くことが話にとても深みを与えています。
漫画家残酷物語―シリーズ黄色い涙 (2)
僕は、はっぴいえんど「春よ来い」のモデルになったこの作品の作者ということで永島慎二の名を知った。
「春よ来い」から劇画風タッチを想像していたのだが、意外にも絵柄は愛らしく洒落ている。
若い世代も違和感なく読めると思う。
ただしストーリーは漫画家の若者が葛藤する話。
単なる娯楽作品として通り過ぎることができない世界を持っている作品で、60年代の若者から絶大な支持を受けたというのもうなずける。