友だちのうちはどこ?【字幕ワイド版】 [VHS]
ジグザグ道3部作の第1弾です。
宿題をちゃんとノートにしてこなければ退学にする、と言われた友だちのノートを間違えて持って帰ってしまった少年がなんとか友だちにノートを返そうと家を探し回る、そんなストーリー。
まず、はじめの教室のドアだけを映したシーンが微妙に長くていい感じ、先生が来る前の教室はあんなものでしょう。家に帰ってからノートに気付き、お母さんに「返してくる」と言っても、「宿題が先」「宿題しなさい」「しないとぶつわよ」と言われるトコは万国共通だなぁ、と。イラン映画なのに昔の自分を思い出すみたいなトコがいい。道々の大人たちがまともに取り合ってくれない場面は、もう社会の縮図ですね。もちろん他人同士なのでプライオリティーが違ってくるのは仕方ないんで!すが・・。
好きなシーンは、少年が返しに行く途中で、丘、というか小さい山みたいな場所を一人かけるシーンがあるんですが・・映されている映像の8割が丘で、あと2割に少年と空が映っていて、その空が、サイコ―にリアルでした!
あぁ、なんて言うんだろう・・・・あの曇り具合は日本の空です。そして、むかし僕が見上げたことのある空でもあった。
友だちのうちはどこ? [DVD]
小学生のアハマッドの住む日常では、先生も親も、とにかく毅然としていて厳格である。その中で、子ども達はなんとか自分なりの主張をし、工夫をし、子どもなりに友達への義理を立ててがんばるのだ。とても現実的である。
明日、宿題をノートに書いていかないと隣の席の友達は退学になってしまう。そして何と!ここにはうっかりカバンに入れてきてしまった友達のノートがあるのだ。今日のうちに返しに行かなくては。アハマッドにとっては何より大事で緊急な用事である。だがお母さんは聞いてくれない。どうしよう...そしてアハマッドは決意する。
子どもたちも大人もとにかく自然である。お母さんに、なぜノートを返しに行かなければならないか繰り返し説明を試みるアハマッドの声が、洗濯に忙しいお母さんには一度では聞こえず、2度3度と同じことを言わなければならない。実生活の中では、確かに「映画のように」一度言って全てが伝わることばかりではない。おそらくキアロスタミ監督は計算しつくしていると思われるけれども、そのじれったさが極めて自然なのである。そう、じれったいのだ。思わず手伝ってやりたくなる。それが手に汗握る現実感となって身に迫るのだ。
話の筋にあんまり関係ない?じいさんが出てきたり、当惑するアハマッドがただぼうっと座っている場面が長く続き、表情によらずその当惑の程度が伝わってきたり、これもおそらく計算されたある種の「ゆるみ」が、生活の空気のように現実的なのである。
叱る先生と叱られる友達を交互に見つめるアハマッドの目が何とも言えずかわいらしく純粋で、その場でアハマッドが感じているであろう当惑を我が事のように感じさせる。私はアハマッドにも、叱られて泣く友だちにも、DVDの画面に向かって思わず「よしよし.......」と声をかけてしまった。ラストの解決も見物。