私は「うつ依存症」の女 [DVD]
映画化されたことは知っていましたが、観るのを躊躇していました。
タイプライターで心理告白をしてはいますが、やはり映画ではエピソードがメイン。
いきなり泣き出す、ヒステリーを起こす、その場を出て行くの繰り返しで病気の症状の描写ばかりの
ような印象です。原作ではリジーは襲ってくる情緒不安定と戦うため、猛烈に勉強をする。
レポート(原稿)を書くという生産的なことをしている時、自分の感情をなんとかコントロールできるから
(旨)といいます。
「ハーバードに入ればなんとかなる」「勉強している時はなんとか保てる」
病気の脅威と戦う自衛手段(逃げの手段)がリジーには孤独な勉学だった。
その結果が優秀な成績だったのです。
映画では母親との心理的確執ばかり。母親も少し情緒不安定。
しかし強盗に襲われたことをきっかけに母親が娘の人生を娘のものと理解する。
唐突で少し違う話のように思えます。BFとのエピソードも、彼が少しの間自分から離れるという
ことがリジーには耐え難い不安を与える。彼女自身ばかばかしく思うほど感情がコントロールできない。
肉体関係もリジーは相手の心を引き止める手段として使う。この病気は強烈な不安を症状とし、結果
おろかな行動をさせて人間関係を破壊するということが分ります。
原作は彼女が病気と戦う内容であり、映画は彼女と周辺の人間ドラマといったかんじです。
リジーの心理を理解したいのであれば原作のほうをお勧めします。
こっこさんの台所CD
「今はこんなものしか出せないけど良かったらゆっくりして行って」
そういってCoccoは台所に通してくれた。
小さな甘いお菓子が4つ出た。
食べるひとのためを想って作った優しい味がした。
そんな、ファンに対する愛を感じるCD。
お腹いっぱいにはならないけれど、幸せな気持ちになった。
私は好きです。
301・302(さんまるいち・さんまるに) [DVD]
韓国映画。301と302に住む二人の女が主人公。301の女性は料理をつくるのも食べるのもすき。せっかくたくさんの料理をつくるが食べる人がいない。よし!お向かいにあげよう。けれど、302の女性はどうやら拒食症らしい。
女性の苦悩?がいっぱい詰まってる映画です。これは映画だからおおげさだけど、ヒトゴトじゃない!?301も302も301の元ダンナも悪くないよね。でも、バランスが崩れればこうな
ってしまう。
料理の映像がたくさん出てきますが、あなたはこれがおいしそうに見えるか、食べたくない、と思うか。最後の料理はデミグラソースかオイスターソースか(^^;?
〈からだ〉に聞いて食べなさい―もっと自分を愛してあげるために
この本を読んでから、何かを食べるときには
「私は、今、本当にお腹がすいているのだろうか?」
と自問する癖がつきました。
ほとんどの場合が、お腹なんてすいていないのです。
私の場合はストレス発散もしくは、気分転換のために食べていることに気づいていませんでした。
しかし、この本のいいところは、「ストレス発散で食べるのは止めなさい!」とはいいません。
体の声を聞きなさい、と言います。
そして、それでも尚、それを食べる選択をした場合は、
体が必要としているのではなく、ストレス発散(例えば)のために食べていることを自覚すればよいのです。
そして、
「あなたが○○(食材名)を必要としていないことはわかっているの。
申し訳ないけど私に寛大になって、出来るだけ早く、この○○を排出してね。感謝してます」
という風に、自分の体に言います。
罪悪感をもたず、自分を受け入れることが肝心なのです。
この「自分を受け入れる」ことの大切さを、著者は全編を通じて、語りかけています。
「自分」というものを自覚するために、食べ方によるバターンや、好みによるパターンでわかる、隠された性質も書かれてあります。
これが、おもしろいくらい当たりました。
食べるということは、人間の生命の根源の部分なので、この部分を改革したら、新しい自分になれるかも!と期待を持たせてくれる本でした。
拒食症・過食症を対人関係療法で治す
この本は丁度娘が過食を伴わない拒食症を発症している最中に買った。摂食障害と一口に言っても、過食嘔吐を伴うタイプと娘のように嘔吐を伴わない制限形拒食症とあり、その性格分類に感心した。摂食障害患者は普通の心療内科でも医師が見たがらない病で、繊細で傷つきやすい患者は一層追い込まれてしまう。この本で目を見開かされた気がして、患者本人にも読んでもらい、今、手元において時間があれば開き、娘との対話の指針にしている。患者にも家族にも理解と希望を与えてくれる本だと思う。日本にも広くこの療法が広まることを期待したい。