元禄忠臣蔵 下 (岩波文庫 緑 101-2)
元禄忠臣蔵は、新歌舞伎の演目。
同年には、溝口健二監督で映画化もされた。
劇の構成、筋立て、人物造形の素形はすべてこの中に入っていると判断してよいだろう。
第1編 『江戸城の刃傷』
第2編 『第二の使者』
第3編 『最後の大評定』
第4編 『伏見撞木町』
第5編 『御浜御殿綱豊卿』
第6編 『南部坂雪の別れ』
第7編 『吉良屋敷裏門』
第8編 『泉岳寺』
第9編 『仙石屋敷』※下の巻・『十八ヶ条申開き』
第10編 『大石最後の一日』
随筆滝沢馬琴 (岩波文庫)
馬琴の著作ほど読者に盛衰の時代があって、冷熱の時期をくぐってきたものはなかろう。このまでもてはやされていた馬琴作品は、坪内逍遥の『小説神髄』で勧善懲悪の戯作文学として否定された。
青果の馬琴資料に対する、まず資料の読みの恣意性を排して、おるがままの形をあるがままに読解していく学究的な姿が一貫している。改めて資料を読み直すと、かつては厭わしく思えた彼の性癖の一つ一つが、かえって人間としての弱さや正しさの証しと見え、しみじみと心に迫ってくる親しみを覚えたという。自身の好悪、感情をむきだしにして対象に迫りながら、あくまでも具体的な筆致で客観的な説得力を失わない、青果の学究的馬琴伝である。
毀誉褒貶にかかわらない、文豪馬琴に肉迫し、肖像画を描いたと言えよう。
元禄忠臣藏(前篇・後篇) [DVD]
とにかく河原崎長十郎の演技と溝口の演出に魅せられました。とくに最後の場面の大石内蔵助、しびれました。打ちのめされました。
義士たちが皆切腹し終わって最後に残った大石が呼び出される、、そのときのさっぱりとした表情、軽い笑みを浮かべて、付き添いのお侍にかるく挨拶しながら立ち上がって前を見る目はすでに生を通り越している。、、、いちばんやりたかったことをやり遂げたという思い。たとえ命が終わるとも、いえ、終える事でさらに完全にやり遂げられる。そんな達成感、満足感、充実感が、静かに伝わってきてじ〜んとしてしまいました、こんな生き方があったのかと。
たしかに仇をうつとか内匠頭の思いを遂げることがそんなにやりたい事になるのかということは有りますけど、そんなことはどうでも良いとまで思えてしまう晴れ晴れとした達成感の嬉しさが理屈のはいりこむ隙間がないほどダイレクトに感じられます。
見終わった後、もう古本しかない真山青果の原作(脚本?)をネットで探して即注文でした。
で読んでみて驚くのは映画の上行くドキュメンタリータッチ。松の廊下の刃傷事件が周囲の人の証言から描かれていて、そのうえその人物の武家屋敷の地図、事件のあった時の江戸城の図面。その後も登場人物が本当に住んでいた所の地図が挿絵の代わりにふんだんに挟み込まれている。堀部安兵衛が、磯貝十郎左衛門がここで寝て、ご飯を食べてとどんどん想像が(妄想かも)膨らんでいくばかりでした。
で本も良かったのですが、やはり映像です。言葉は少なくても、人物の表情と仕草で一瞬にして伝わってきます。浅野家再興が出来ないと聞いて仇討に障害がなくなったと分った時の、もやがはれるようにすっきりした大石の表情とか〜
何にもとらわれない、迷いがない、最初から最後までまっすぐな「意思」、死ぬ事もほんの小さな事に思える。葉隠の武士道ってこんな感じなのでしょうか、なんだかすこし腑に落ちた感じです。それも溝口の映像の力でしょうね。
あと河原崎長十郎の色っぽさにも参ってしまったかもしれません、角帯を下腹に巻いた着物姿がなんとも粋で(お侍さんにしてはちょっと粋すぎるくらいに)、、、胴長短足ってこんなにすてきだったのね。
元禄忠臣蔵〈上〉 (岩波文庫)
娯楽の少なかった頃にウケた復讐の時代劇。
浅野内匠頭上、吉良上野介、大石内蔵介といった登場人物
その程度の知識しかなく、知人の薦めで始めて全体を知る事ができました。
大石内蔵介がいかに忠義に厚く、また知謀に長けていたか。
また、討ち入りへの思いや、四十七士の言動には、
目頭が熱くなるような場面も多々ありました。
日本で長く愛されてきた理由がよく分かった気がします。