ラブソング
サンボマスターがやった。
ピアノを主体とした美しいメロディと歌詞。
そこに目新しいものは何もない。
あるのはただただ切実な内面の吐露と
情けないまでの喪失感だ。
それは、親を失って道端で泣き続けるしかない子どもに似ている。
そこに克己はない。
強さもない。
前に進む足もない。
ただ、弱さと願望だけだ。
迷子になって泣きわめく子どもがいるだけだ。
だけど、100%の悲しみってそういうことじゃなかったか?
僕らが日々のなかで出くわす「大切なものを失う」感情って
リアルにそういうことじゃなかったか?
僕はこの、新しさの欠片もない新曲を聴いて、
腹の中をえぐられる気持になった。
長澤まさみが出演した箭内道彦制作の私設PVも含め、
サンボマスター本人たちが驚くほど反響があるそうだ。
彼らが想像していた以上に、多くの人々に「届いた」ということだろう。
きっと、あまりにストレートに作られた楽曲だからこそ、
好き嫌いで判断する前に聴き手の胸に飛び込んでくるのだ。
鍵を掛ける隙もなく。
藤子・F・不二雄のパラレル・スペース 限定版 DVD-BOX(原作コミック付き)
数カ月前、発売直後に購入しましたが、海外赴任などの事情で、8月末になって観ることになりました。
今年になって全集が発刊されたのは記憶に新しいですが、大好きな藤子F先生の「新作」を読むのはもはや叶いませんが、先生の70年代80年代のSF(スコシフシギ)作品が、21世紀にどのように映像化され復活を遂げたか観たかったのが購入の理由です。
で、どんな印象を持ったか。F先生のファンとしての感想です。
全6話をオムニバスで、6人の監督が映像化しています。それぞれの解釈、演出、表現方法、作品へのスタンスがあって、好き嫌いが出るのは仕方ありませんが、方法論は違っても、それぞれに藤子F先生への愛情、敬意を感じたのは感じました。
ただし、それが、藤子ワールドを構築し得たか、というのは、また別の話ではあります。
1話「値ぶみカメラ」
原作のネームを忠実に映像化しようとの試みだったと思いますが(主人公の衣装の柄まで再現してます)、マンガ風に表現しようとするあまり演技は不自然に過ぎ、どなたかも「豪華俳優人による学芸会風」と書いていらっしゃったように、大人向けの映像作品として視聴に耐えない方もいるかと想像します。(メイキングで監督は「(作品のそのまま実写化の)実験をしなくちゃ」と思っちゃった、と言われていましたが、ちょっとアプローチが違った気がします)
ちなみに最後のやらせっぽいインタビュー映像は明らかに不要、デス。
2話「あいつのタイムマシン」5話「征地球論」は、いずれも主人公を男性から女性に偏向していますが、2話は、結末部分を除いて、ほぼ別の作品として生まれ変わっています。エッセンスを抽出することなくしてはできない翻案です。
原作からして、藤子作品にしてはちょっと難解、不条理な印象を受ける異色作ではありますが。1話とのアプローチの違いが印象的で、3話以降の展開に期待を持たせます。
3話「ボノム〜底抜けさん〜」6話「ボクラ共和国」
6作品中、原作が最も古い1970年作のため、どのように演出するのか気になっていましたが、単純に舞台を現代に置き換えただけかと思わせつつ、いきなりびっくりするような展開で驚かせ、楽屋落ちネタもまぶしながら、原作の要素を要所要所で押さえていきます。6話にも言えることなのですが藤子先生が言いたかったことを現代的に表現するには、先生の持っていらっしゃった、ある種の「宗教的悟り」をも理解できないと、結論部分も含めた映像化はちょっと難しかったかな、と思います。
4話「かわい子くん」5話「征地球論」
原作の要素を再構築して、新たな現代作品に昇華しようとされた意図がいちばん伝わりやすい印象を受けました。
4話の主人公の一人、麻生久美子氏は、最近観た雨上がり宮迫主演「純 喫茶・磯辺」のエキセントリックな素子役とイメージがかぶってしまったのが残念でした。5話では他5作の監督陣がアニメパートの宇宙人の吹替えをやっています。
宇宙人が地球人である主人公たちの生態に突っ込みを入れていくのですが、終盤、本筋とは関係ないところで突っ込みを入れたくなるあり得ない演出がもったいない。(両親の前で高校生のカレシが指輪送るか、という)
主人公のケータイストラップが楽屋落ち風で愉快。
しかけ人たちの企画術
さまざまな分野の第一人者が、その人ならではの企画術を語るという一冊。テレビプロデューサー、経営者、編集者、広告クリエイター、料理人などバラエティに富んだ人選で、「企画」というものを余すことなく教えてくれる。
第一線で活躍する人たちが語る「企画」というのは、実にけれん味がなく、理路整然としている。これらを読むだけで、プロフェッショナルは、「企画」を偶然やひらめきの産物ではなく、技術として身につけているということが良くわかる。そして企画以上に、自分自身のことを知り尽くしているなというのが、非常に印象的であった。
◆本書で紹介されている企画術のポイント
・吉田 正樹(テレビプロデューサー):周縁からの「怒り」
・後藤 繁雄(編集者):身体性、体つき
・中村 勇吾(インターフェースデザイナー):コードの規定、コラージュ
・奥田 政行(「アル・ケッチャーノ」オーナーシェフ):聞き飽きしない音楽
・箭内 道彦(クリエイティブディレクター):すべての引き出しは10代にある
・堂山 昌司(マイクロソフト代表執行役副社長):パートナーの存在、組み合わせ
・嶋 浩一郎(クリエイティブ・ディレクター):ボタン×シナリオ
・片山 正通(インテリアデザイナー):共犯
・小山 薫堂(放送作家、脚本家):ほんの少しだけ視点を変えられるもの
特に注目すべきポイントは、今までのようなパッケージ化された企画を届ける時代から、ソーシャルメディアに代表される”場”の時代において、企画がどのようにあるべきかという視点である。これについては、中村勇吾氏の「ルールや秩序をデザインする」という説明が明解である。ルールをデザインするためには、「何をするか」だけではなく、「何をしないか」ということについても考えなくてはならない。この「何をしないか」こそが企画のポイントであり、勝負の分かれ目なのである。
Twitterは140文字以上の情報の受発信はできない、Facebookは匿名でのユーザー登録はできない。これらの参加者に課せられた制約によって、場の秩序が決まる。そして、その秩序に基づいた総体をもって、参加者はそのプラットフォームが面白いかどうかを判断するのである。「制約は企画の源泉」、かつて情報を発信する側で言われていたことが、今やプラットフォームへ参加する全ての人に及んでいるということなのである。
ほんとのきもち
佐藤健さんが主演したドラマ「Q10」の主題歌です。
この歌を聴くと「Q10」の様々な名シーンが思い起こされて、
自然とウルっときてしまいます...。
高橋さんの飾り気がない直球ストレートな歌いっぷりが、
「Q10」の世界観とマッチして心にしみます。
藤子・F・不二雄のパラレル・スペース DVD-BOX
数カ月前、発売直後に購入しましたが、海外赴任などの事情で、8月末になって観ることになりました。
今年になって全集が発刊されたのは記憶に新しいですが、大好きな藤子F先生の「新作」を読むのはもはや叶いませんが、先生の70年代80年代のSF(スコシフシギ)作品が、21世紀にどのように映像化され復活を遂げたか観たかったのが購入の理由です。
で、どんな印象を持ったか。F先生のファンとしての感想です。
全6話をオムニバスで、6人の監督が映像化しています。それぞれの解釈、演出、表現方法、作品へのスタンスがあって、好き嫌いが出るのは仕方ありませんが、方法論は違っても、それぞれに藤子F先生への愛情、敬意を感じたのは感じました。
ただし、それが、藤子ワールドを構築し得たか、というのは、また別の話ではあります。
1話「値ぶみカメラ」
原作のネームを忠実に映像化しようとの試みだったと思いますが(主人公の衣装の柄まで再現してます)、マンガ風に表現しようとするあまり演技は不自然に過ぎ、どなたかも「豪華俳優人による学芸会風」と書いていらっしゃったように、大人向けの映像作品として視聴に耐えない方もいるかと想像します。(メイキングで監督は「(作品のそのまま実写化の)実験をしなくちゃ」と思っちゃった、と言われていましたが、ちょっとアプローチが違った気がします)
ちなみに最後のやらせっぽいインタビュー映像は明らかに不要、デス。
2話「あいつのタイムマシン」5話「征地球論」は、いずれも主人公を男性から女性に偏向していますが、2話は、結末部分を除いて、ほぼ別の作品として生まれ変わっています。エッセンスを抽出することなくしてはできない翻案です。
原作からして、藤子作品にしてはちょっと難解、不条理な印象を受ける異色作ではありますが。1話とのアプローチの違いが印象的で、3話以降の展開に期待を持たせます。
3話「ボノム〜底抜けさん〜」6話「ボクラ共和国」
6作品中、原作が最も古い1970年作のため、どのように演出するのか気になっていましたが、単純に舞台を現代に置き換えただけかと思わせつつ、いきなりびっくりするような展開で驚かせ、楽屋落ちネタもまぶしながら、原作の要素を要所要所で押さえていきます。6話にも言えることなのですが藤子先生が言いたかったことを現代的に表現するには、先生の持っていらっしゃった、ある種の「宗教的悟り」をも理解できないと、結論部分も含めた映像化はちょっと難しかったかな、と思います。
4話「かわい子くん」5話「征地球論」
原作の要素を再構築して、新たな現代作品に昇華しようとされた意図がいちばん伝わりやすい印象を受けました。
4話の主人公の一人、麻生久美子氏は、最近観た雨上がり宮迫主演「純 喫茶・磯辺」のエキセントリックな素子役とイメージがかぶってしまったのが残念でした。5話では他5作の監督陣がアニメパートの宇宙人の吹替えをやっています。
宇宙人が地球人である主人公たちの生態に突っ込みを入れていくのですが、終盤、本筋とは関係ないところで突っ込みを入れたくなるあり得ない演出がもったいない。(両親の前で高校生のカレシが指輪送るか、という)
主人公のケータイストラップが楽屋落ち風で愉快。